土曜日朝swimの後、中央自動車道路・清里ライン経由で約3時間半(珍しく首都高速
の渋滞なし。)。豪雪で移動に大変な思いをした2年前よりもきわめて順調に松原湖
(長野県JR小海線沿線)skate centerに到着。八ヶ岳は、昼間でも外気温が-5℃とい
う極寒地。前前日の降雪で、今回も雪の残る中でレース。これで9回目の参加です。
第14回にもなった今回のレース、わたしにとっては、第12回の雪辱戦でした。

TJ誌やJTUマガジンで紹介され、ご存じのとおり、ski 3km(小海RE-EX SKI場),run
16km(稲子湯林道),skate 10km(松原湖スケートセンター)を競います。昨年よりskiの
登りがさらに0.5km延長され、どんなレースなることやら、スキーもスケートも2年ぶ
りだし、とにかく気負わず、優勝などねらわずにベストをつくしていこうという気持
ちで臨みました。

日曜日午前8時、富士山もクリアに見えるほど快晴の天候で、小海Re-ex ski valley
の中腹よりスキーブーツをはいた約200名が一斉にスタート。圧雪されたゲレンデを
数100mほど走ってから板をつけ両手にストックを持ってGo! ここまでですでに心臓バ
クバク状態に。やや狭いところを数100mスケーティングand逆ハの字で登ってからメ
インのゲレンデを大滑降。後ろから妄スピードで私を抜いてゆく人に煽られ転倒しな
いよう注意しながら、スラロームスキーで規定の旗門を通り抜け、最後にトランジッ
ションまで数100mの急勾配の登り坂。前方を行く選手は目視で約40人。とにかくへば
らないようにおさえて登る。登りきったところでスキーウエアを脱ぎ捨て、run
shoes(スパイク)にはきかえてrun start。この時点で34位。

はじめは3km弱の山登り。急坂ゆえに全力ではあがれない。今回も積雪のため走り出
しの道は狭く、雪も深いためほとんど歩きに近い速度。開けたところから少しずつか
けあがり、それから10kmほど林道を下る。出だしから先方の選手がひとりずつ私に抜
かれてゆくが、中盤以後は全く前を行く選手が見えてこない。スパイクシューズにも
のをいわせ、雪道の下り坂を調子よくbuild up、松原湖付近までくるとラスト2kmは
スケート場までまた登り。このあたりで応援者から、先頭から5分差で3位であるこ
とを知る。最後のskateで5分差を詰めるのはかなりきびしいか。半分あきらめた。
とにかくベストをつくそう。後続の選手もまばら。3位でrun finish。(結局runで
は5位)

スピードスケートの靴にはきかえ、氷上を400m×25周。runのあとで足がガクガクで
ある。何度もこのレース経験しているが、これほどのことは今までなかった。氷上が
無風であったのが幸いだった。ここでは1周ごとに自分のナンバーをリンクサイドの
役員のおねえちゃん(今回はおばちゃんじなかった。)にcallするのだ。2周して前
前回競ったN選手が滑りだした。声をかけられ、しばらく彼と並走した。先の選手は
skateが遅いようだった(フォームでわかる。)。このままいけば勝てるかもしれな
い。油断できなくなった。10周ほどで足腰に痛みが走る。まともに腰をおとして滑る
のができない。しばらく耐えたが、それから5周ほどしてバランスを失って転倒・・
・。>_< おいていかれた。
後続の選手が次々にリンクにはいってきて、混雑度も増してくる。skate得意の選手
もいて最後に逆転されるかもしれない。残りの10周は自分との戦いであった。転倒し
ないように夢中で氷上を走った。気がついたら自分が先頭であと3周であるのが、場
内放送で知れた。ここで初めて優勝を意識した。

25周目で'ふだ'を受け取る。うまく受け取れず、またも転倒。以前の悪夢がよぎっ
た。この間に抜かれて最後に順位を落としたことがあった。負けたらシャレになら
ん。必死に落とした'ふだ'を受け取り、全力でfinish gateへ・・・。
finish lineを1番で通過。計測所手前止まれず、またまた転倒。ただし、以前の
finish付近でのトラブルもなく、ゆっくりと腕の発信器を計測機に近づけて、競技終
了。N選手はその2分後finishした。

というわけで、おかげさまで2位で妥協したあの2年前の雪辱をはらすことができま
した。自分のレースができたことがこの結果につながったのだのだと思います。勝負
を最後まで油断せず、また、あきらめないこと。それとも勝因は、なによりもこの大
会に風邪もひかずに参加できたことかもしれません。
身内が2人インフルエンザになってましたから。

今回も筋肉痛絶好調!